空に星が綺麗

『口笛吹いて歩こう 肩落としてる友よ

いろんな事があるけど 空には星が綺麗』

 

今日の仕事帰りの道は、やけに信号が変わるのが早かった。

ふと斉藤和義を聴きたくなって、プレイリストを流す。

歌える曲は2、3曲。知ってる歌は多分10曲くらい。

そこまで入れ込んでいるわけではないんだけれども。

 

先日まで咲き誇っていた桜も色を変えて、いまは綺麗な緑を見せてくれている。

葉桜は満開の桜とは違う美しさを秘めていて、ぼくはとても好きだ。

せわしなく流れる時間の一角に佇んでいてくれると、こころが落ち着く。

咲き誇る美しさ、花びらの舞い落ちる美しさ、桜流しと道端のかけら、そして葉桜。

どの姿も華やかで優しくて、儚くて悲しい。いろんな事があるけど 空には星が綺麗。

忙しい日々にこそ、そんな瞬間を大切に感じられるこころでありたい。

 

 

 

今の会社に勤めて、そろそろ5年目になる。

22歳の頃から勤めていた飲食業から、26歳の夏に転職した。

弾き語り配信による音楽活動を始めたのも、転職とほぼ同じタイミングだった。

 

転職前後の僕の精神面は酷いもので、最初に配属された部署では誰一人として

こころ許せるような人と出会えなかった。そんな余裕がなかったとも言える。

当時抱えていた苦しみを、歌を歌うことで何とかごまかす日々が続いて、

どうせ歌うなら誰かに聴いてもらえたら良いな、と始めたのがきっかけだった。

 

インターネットが発達したおかげで、随分と人とつながることが容易になった。

そしてその反面、容易に人と別れることもできるようになった。

僕自身もほぼ配信をすることはなくなってきているが、当時仲良く相互で

やりとりしていた配信者はほぼいなくなったし、リスナーさんも変わっていった。

配信プラットフォーム自体も大きく変わってきているし、懐かしささえ感じる。

僕はギターを何かしらの形で弾き続けているけれど、あの頃のあの人たちは

まだギターを弾いているだろうか。元気でいるだろうか。

 

 

 

今の会社に転がり込んで、最初に配属された部署ではとにかく人間関係が

うまくいかなかった。地元から飛び出して挑んだ土地で、馴染みのない方言、

肌に合わない現場ノリ、言葉より先に手が出るような動物的な先輩たち。

そんなものから逃げるように、一年も経たずに異動願いを出した。

部署が変わり数年経つ今でも、そこの人たちと関わるときは、とにかくギクシャクする。

 

 

まともな思い出もロクに思い出せないけれど、あるとき音楽の話を職場の先輩とする

機会があった。異動願いが受理され、あと10日程度でおさらば出来る頃だったと思う。

 

「おまえ、ギター弾けるんか!なんやもっと早う知りたかったわ。

わしに教えてくれ!」

 

世間話をしていて、趣味の話でもしていたのだろう。

何の思い入れもない部署、何の思い入れもない、とある50代半ばのおじさんと、

その瞬間限りなく透明に近い交友関係が形成されたのを覚えている。

 

 

きっと社交辞令なのだろうと思い、まったく気にも留めないまま僕は次の部署へ行った。

前の部署から離れて3か月ほど経った頃、50代半ばのおじさんから連絡を受けた。

なんと本当にギターを教えてもらいたいらしかった。

 

最初は市営の簡易スタジオで集まって教えていたが、数回のレッスンを経たころには

おじさんの家でレッスンするようになっていた。

レッスンはその時々でおじさんのやりたい曲をピックアップしていたが、

おじさん自身はそもそも独学でギターを弾いていたようで、レッスンの合間にいつも

『空に星が綺麗』を弾いていた。

 

 

文章で読むと仲良く見えるかもしれないが、僕はというとレッスンの度に少し

緊張していた。前の部署の人というだけで、うまく頭が回らなくなっていたし、

おじさんのお願いに付き合っている、という姿が正しかった。

レッスンの予定を合わせるやり取りもぎこちなかったし、会って別れる所作の

ひとつひとつも、どうにも居心地が良いとは、僕は思えなかった。

 

 

けれど、ギターを弾いているときだけはフラットな時間を過ごせる、不思議な関係。

レッスンは日勤の後に行うので、決まって19時~21時あたりになる。

おじさんは、メシ代として1000円を決まって僕にくれた。

別にお金をもらう為にレッスンしているわけではないけど、かといって向こうに

付き合っているのも事実だし、1000円は貰ってしまおうと思える程度の間柄だった。

思えば、ギターを教えて報酬をいただくという初めての経験だった。

 

 

最近ではギター教室に時間を割くことに必死で、おじさんと最後にギターを弾いたのは

去年の11月頃だったと思う。次は『BAD FEELING』を弾きたいと言っていたし、

ちょうど教室の生徒にも同じ曲を教えているので、次の連絡がきたら

一緒に弾こうかと考えていた。

 

 

 

 

 

今の部署は大当たりで、自分に合っていると思う。

先輩方とも関係は良好で、仲良く過ごせている。

今日のタスクを手早く終わらせて、コーヒーをいれて一息つく。

暇つぶしで会社のイントラネットを立ち上げて、社内連絡の欄を見る。

 

 

 

58歳だった。

 

 

 

訃報を告げる社内連絡に、おじさんの名前があった。

葬儀は親族で済ませるという。

 

 

正直、特別悲しいわけではなかった。

 

きっと今でも連絡をとるなら多少ギクシャクするだろうし、

1000円を受け取ってしまう程度に、距離は開いていると思う。

ただ、今日はやけに帰り道、信号が変わるのが早くて、

いつも通りの時間に家に着いた。

 

お焼香をあげられる程度の仲には、なりたかったんだなと、失ってから気付いた。

そんな日だった。

 


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